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東京高等裁判所 昭和44年(ラ)575号 決定

第五七五号事件抗告人・第五七七号事件相手方(第一審申立人) 星野令子

第五七五号事件相手方・第五七七号事件抗告人(第一審相手方) 広瀬利兵衛

主文

1  第一審相手方の抗告を棄却する。

2  第一審申立人の抗告に基づき原決定を次のとおり変更する。

(1)  第一審申立人から第一審相手方に対し原決定別紙目録記載の建物および賃借権を代金四〇〇万円で売渡すことを命ずる。

(2)  第一審申立人は第一審相手方に対し右金四〇〇万円の支払を受けるのと引換えに右建物を引渡し、かつ右建物につき所有権移転登記手続をせよ。

理由

一、第五七五号事件につき、第一審申立人は、「原決定を取消す。第一審申立人が原決定別紙目録記載の借地権を逗子市久木四の七の一六卜部柴光に譲渡することを許可する。」との裁判を求め、さらに予備的に「原決定を取消す。第一審申立人から第一審相手方に対し原決定別紙目録記載の建物および借地権を代金五九六万四〇〇〇円で売渡すことを命ずる。」との裁判を求め、第一審相手方は抗告棄却の裁判を求めた。

第五七七号事件につき、第一審相手方は、「原決定を取消す。第一審申立人から第一審相手方に対し原決定別紙目録記載の建物および借地権を代金五〇万円で売渡すことを命ずる。」との裁判を求め、第一審相手方は抗告棄却の裁判を求めた。

二、第一審申立人の抗告の理由は、

1  第一審申立人は第一審において本件賃借権の譲受予定者を中山孝三郎として賃借権譲渡の許可を申し立てたが、昭和四四年一一月初め右中山孝三郎から建物譲渡契約の解除の申入があつたので、やむなくこれを承諾した。そしてあらたに大覚寺大僧正の地位にある卜部紫光から本件建物および本件賃借権を譲り受けたいとの希望申出があつたので、譲受予定者を右卜部紫光に変更する。

2  借地法第九条の二第三項は「之ヲ命ズルコトヲ得」と定めており、賃貸人から建物および土地賃借権の優先譲受の申立があつた場合に必ずその申立を認容すべきものとはされていないのである。同条項が賃貸人の優先譲受を認めたのは、賃借人が交換価値の実現をはかろうとする場合には、譲受人が賃貸人であつても第三者であつても、交換価格に差等がないかぎり賃借人の利益を害することがないからであつて、もし賃貸人の譲受価格が第三者のそれに比し賃借人に不利益であれば、賃貸人の優先譲受の申立を認容すべきではなく、これを認容する決定は、賃借人の財産権を侵害し憲法第二九条に違反する。本件において第一審相手方は本件賃借権譲受の対価として金五〇万円以上の出捐は考えられないとしており、これは、前記中山孝三郎の場合の譲受価格金四八〇万円からいわゆる名義書替料を控除した金額と比較しても、なおかつ第一審申立人に不利である。また原決定が、対価金二〇〇万円の内金一〇〇万円の支払と引換に土地および建物の引渡ならびに建物所有権の移転登記手続を命じ、かつ残金一〇〇万円の支払を一〇か月月賦によることを許しているのは、中山孝三郎に譲渡する場合には対価全額の支払と引換でなければ土地および建物の引渡ならびに建物所有権の移転登記手続をする必要がないのに比し、第一審申立人に不利である。原決定は、第一審申立人の財産権を侵害し憲法第二九条に違反した違法があるのみならず、第一審相手方の優先譲受の申立を排斥すべき特段の事情があるにもかかわらず、これを看過してその特段の事情が認められないとした違法がある。

また第一審相手方の優先譲受の申立は、譲受の対価として金五〇万円以上の出捐は考えられないとしていることおよび第一審相手方が大地主で本件土地を自ら使用する必要性が全く考えられないことからすれば、権利の濫用として排斥されるべきである。

3  原決定が第一審相手方の優先譲受の対価を金二〇〇万円としたのは不当に低簾に失する。すなわち本件土地の更地価格を坪当り金八万円とし、借地権価格を更地価格の六割とし、本件建物の価格を朽廃の度合が高いとして零と算定したことは、いずれも不当である。

また原決定が右金二〇〇万円の内金一〇〇万円の支払を受けるのと引換に土地および建物の引渡ならびに建物所有権の移転登記手続を命じたのは不当である。一般の不動産取引においては対価全額の支払を受けるまでは引渡および所有権移転登記を留保するのが通常であり、原決定は、特段の事情もない(第一審相手方は大地主で分割弁済を必要とする資金事情にはない。分割弁済を必要とする資金事情にある賃貸人の買受申出を即金で買受ける第三者の申出に優先させるのは、賃借人の利益を害すること甚だしいから、そのような条件を認めるべきではない)のに、第一審申立人に対し対価の半額のみの支払を受けるのと引換に全部の先履行義務を課したものであつて、借地法第九条の二第三項が同時履行を命ずるよう定めているのに違反する。

というのであり、第一審相手方の抗告の理由は、原決定が定める譲受の対価金二〇〇万円は不当に高額に失し、金五〇万円とするのが相当であるというのである。

三、まず第一審相手方の優先買受の申立を排斥すべきであるという第一審申立人の抗告理由について考える。

借地法第九条の二第三項は、賃借人(借地権者)が借地上の建物を第三者に譲渡しようとして同条第一項による賃借権の譲渡または転貸についての賃貸人の承諾に代る許可の裁判を求める申立をする場合には、賃借人としては、自ら直接賃借地の使用を継続する意思がないのであるから、その第三者ではなく賃貸人に右譲渡または転貸をしても、その譲渡の対価または転貸の条件が適正に定められるかぎり不利益とはいえず、一方賃貸人としては、第三者との間に新たな賃貸借関係を生ぜしめるよりは相当な対価または条件で自ら賃借権の譲渡または転貸を受け、賃借権をいわば自己に回収したいと希望することがあるから、このような場合の双方の利害を調節して、賃貸人から建物の譲渡および賃借権の譲渡または転貸を受けるべき旨の申立があつたときは、裁判所が同条第一項の規定にかかわらず相当の対価または転貸の条件を定めて賃貸人に譲渡または転貸するよう命ずることができることとしたのである。そして右第三項が「之ヲ命ズルコトヲ得」と定めているのは、裁判所がその裁判をする権能があることを示しているにとどまり、第一項による賃借人からの申立と第三項による賃貸人からの申立とのいずれについて裁判をするかの裁量権を裁判所に与えることを意味するものではなく、前記立法の趣旨からすれば、裁判所は第三項による賃貸人からの申立に拘束されこれについて裁判すべきものと解するのが相当である。もつとも賃貸人からの右申立が前記立法の趣旨にそぐわない特段の事情があるとかあるいは権利の濫用に当ると認められるような場合には、右申立を排斥して賃借人の申立について裁判することが許されるであろうが、譲渡の対価については裁判所が鑑定委員会の意見を聴く等の方法により相当と認める額を決定するのであつて、賃貸人の主張する譲受価格が低廉に失するからといつてそれは単に賃貸人の意見にすぎないし、また賃貸人が右申立をするには自ら賃貸地を使用する必要があることを要するわけではなく、第一審相手方の主張する譲受価格が低廉に失し、また第一審相手方において本件土地を自ら使用する必要がないとしても、それらは第一審相手方の申立を排斥すべき特段の事情もしくはその申立を権利の濫用とすべき事情とはいいがたく、そのほか本件に現われた一切の事情を考慮しても、第一審相手方の優先譲受の申立を排斥すべきものとは認めがたい。

四、第一審申立人は、当審において、賃借権の譲受予定者を中山孝三郎から卜部柴光に変更したうえ、賃借権譲渡についての承諾に代る許可の裁判を求めるとの申立をしているけれども、前述したところからすれば、第一審相手方からの優先買受の申立を排斥すべき理由を認めがたく、かつ右優先買受の申立が第一審の裁判後当審においても維持されている以上、第一審申立人の右申立について実体的裁判をなしえないことが明らかである。

五、そこで第一審相手方の優先譲受の対価について考える。

借地法第九条の二第三項は「相当ノ対価」というだけで対価決定の基準とすべき事項を明示していないけれども、前述のような同項の立法趣旨からすれば、賃貸人に譲渡する場合であつても第三者に譲渡する場合に比し賃借人に不利益にならないように対価を決定すべきであり、ただ第三者に譲渡する場合に賃借人がその受領した対価のうちから賃貸人に給付すべきものとされている額(いわゆる名義書替料)があるときは、賃貸人に譲渡する場合にはこれを第三者に譲渡する場合の対価から控除するのが相当である。そして右の第三者に譲渡する場合の対価は一般には客観的な借地権価格に相当するのであるが、現実の取引においては必ずしもその価格によつて譲渡されるとはかぎらず、賃借人がすでに譲受予定者との交渉において取りきめた予定価格があり、それが特に高額にまたは低額に取りきめられた特殊の事情が存在しない場合には、右の予定価格は賃借人が期待していた賃借権の交換価格としてまた現実に行われる可能性のある取引価格として意味があり、賃貸人に譲渡する場合に賃借人をして右予定価格以上の対価を得しめることは前記立法の趣旨に照らし妥当を欠くものと考えられる。

本件土地の更地価格が三・三平方米(一坪)当り金八万円、借地権価格がその六割の三・三平方米当り金四万八〇〇〇円、したがつて本件土地全体五七三・二五平方米(一七三、四一坪)の借地権価格が金八三〇万四〇〇〇円と認められることは原決定の説示するとおりである。他方本件資料によれば、第一審申立人と当初の譲受予定者中山孝三郎との間に本件建物の売買契約が締結され、売買代金を金四八〇万円とし、売主において買主が継続して敷地を賃借できるよう地主と交渉して解決する義務を負う旨約されていたことが認められ、原審における鑑定委員会の意見を参酌すれば、本件建物の買受価格は、朽廃の度合高く、経済的機能的に陳腐化し、敷地および近隣との関係において適合性に欠け、利用の効率性が甚だ低いと考えられるから、これを零とみるのが相当であり、また本件賃借権を第三者に譲渡する場合に賃貸人たる第一審相手方に給付すべきいわゆる名義書換料は、前記借地権価格の約一割であると考えられる。

以上述べたところを総合して判断すると、結局第一審相手方が第一審申立人に対し本件優先譲受の対価として支払うべき額は、第一審申立人と中山孝三郎との間で約されていた売買代金四八〇万円から前記借地権価格金八三〇万四〇〇〇円の約一割に当る金八〇万円を控除した金四〇〇万円をもつて相当と認める。

なお右対価の支払は第一審申立人の第一審相手方に対する本件建物の引渡ならびに本件建物の所有権移転登記手続の履行と同時になさしめるのが相当であると認める。

六、よつて第一審申立人の抗告に基いて原決定を以上の内容に変更し、第一審相手方の抗告は失当としてこれを棄却することとし、主文のとおり決定する。(なお手続費用の負担については当事者の各自負担とするのが相当と認めるので、特に裁判はしない。)

(裁判官 小川善吉 小林信次 中平健吉)

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